赤十字って?

 ・民間の団体です

 ・戦争犠牲者を救護するための団体として誕生しました

 ・人間の尊厳を守るために働きます

 ・自然災害などの救援活動も行ってます 

   

赤十字の父・・・アンリー・デュナン(1828.5.8~1910.10.30)

 ・スイス・ジュネーブに誕生

 ・母の影響を強く受け子どもの頃から母の手伝いで、病人や貧しい人 を見舞ったりしていた

 ・キリスト教青年会(YMCA)の創立者のひとり

 1828年の日本では、文政11年:シーボルト事件がありました

 

赤十字思想の誕生(1859.6.24)

 ・イタリア北部ロンバルディア平原のソルフェリーノの丘において、

  イタリア統一戦争が起こった

 ・フランス・サルディニア連合軍とオーストリア軍との戦争

 ・6月24日のソルフェリーノの戦いだけで32万人が戦い4万人

  死傷した

 ・デュナンは戦場に近いカステリオーネの町の人に呼び掛け救護活

  をした

 1859年の日本では、安政6年:横浜開港の年です

 

ソルフェリーノの思い出(1862.11)

 ・戦争で死傷した兵士やその家族の悲惨さを見たデュナンは、その 

  惨状を1600部を自費出版

 ・負傷兵救護問題を国際的に解決するための活動を開始した

 ・負傷軍人の救護に関する国際的恒久的組織の必要性を提案

 ・救護活動が安全に出来るための国家間の条約の必要性を提案

 1862年の日本では、文久2年:生麦事件がありました

 

赤十字の誕生(1863.2.17)

 ・ジュネーブにて5人委員会発足(後の赤十字国際委員会)

 ・赤十字の基本原則である赤十字規約10ヶ条確立(1863.10.22)

 1863年の日本では、日章旗を国標と定めた年です

 

赤十字のマーク(1863.10.22)

 ・最初の国際会議(1863.10.22)で、デュナンに敬意を表し、スイス国

  の色を反転して白地に赤十字マークに決まる

 ・赤十字マークは、保護のマークである

 ・マークを付けている時は、赤十字の活動をしている事を表す

 

ジュネーブ条約(1864.8.22)

 ・初の国際会議(1864.8.8)で16各国24名で開催し12ヶ国調印

 ・第1条約(陸の条約)・・・・・1864.8.8

 ・第2条約(海の条約)・・・・・1899.7

 ・第3条約(捕虜の条約)・・・・1929.7

 ・第4条約(文民保護の条約)・・1949.8

 1864年の日本では、元治元年:京都池田屋騒動がありました 

 

 

国際赤十字

 ・赤十字国際委員会、国際赤十字・赤新月社連盟・

  各国赤十字社の総称

 ・5人委員会を国際赤十字委員会に改称(1875)

   →戦時の監視活動や各国赤十字社・赤新月社の承認

 ・国際赤十字・赤新月社連盟(1919.5.5)

   →米・英・仏・伊・日により創設(蜷川新発案による)

   →戦時以外の救護活動

 ・各国赤十字社(1863.10.22)

   →独立国のほとんどに赤十字社又は赤新月社がある

 

日本の赤十字

 ・佐野常民はパリ万博視察で赤十字の組織を知る(1867)

 ・明治政府に願い出るが敵兵(賊軍)の救護が受け入れられず

 ・常民は時の征討総督有栖川宮熾仁親王に願い出て(1877.5.1)

  翌々日の(1877.5.3)明治10年に許可がおりる

 ・博愛社創立(願い出た日を創立記念日と制定)

 ・西南の役(西南戦争)で救護活動を開始

 ・明治19年赤十字条約に参加

 ・ジュネーブ条約に加盟し赤十字国際委員会より承認を受け日本赤十

  字社に改称し国際赤十字の一員となった(1887.5.20)

 ・戦争犠牲者以外の救護活動として、日本赤十字社が世界で初め

  会津磐梯山噴火の被災者救護活動をしました(1888年)明治21年

 

5月は赤十字運動月間

 ・日本赤十字社に2000円以上寄付し会員登録した人を会員とし、

  それ以外の人を準会員という。(平成29年4月より)

 ・5月は日本赤十字社にとっても、ゆかりの多い月であることから、

  5月を赤十字運動月間としております

 ・赤十字思想の普及に努めいてる

   5/1  (1877) 博愛社創立

   5/5    (1919) 国際赤十字・赤新月社連盟創設

   5/8  (1828) 世界赤十字デー(アンリー・デュナン誕生の日)

   5/12 (1820) フローレンス・ナイチンゲール誕生の日(看護の日)

   5/20 (1887) 博愛社から日本赤十字社へ改称

 

その他

 ・1859年:ソルフェリーノの戦いのあった年は日本では安政6年

  横浜開港の年です(安政6年6月2日)1859.7.1。

  明治維新の9年前です。

 

 ・1860年:日本では万延(まんえん)元年桜田門外の変の年で

  す。

 

 ・1861年:日本では文久元年、孝明天皇の妹和宮様が徳川家茂に

  嫁いだ、公武合体と言われた年です。

 

 ・1862年:ソルフェリーノの思い出を出版した年は日本では文久

  2年生麦事件のあった年です。

 

 ・1863年:五人委員会発足の年は日本では文久3年

  日章旗を国章と定めた年です。

 

 ・1864年:ジュネーブ条約締結した年は日本では元治元年京都池

  田屋騒動の年。アメリカではリンカーン大統領当選の年です。

 

 

 

 ・1867年:日本では慶応3年に肥前佐賀藩から佐野常民がパリ万

  博で赤十字を知ります。

 

 ・1868年:慶応から明治に変わりました。

 

 

 

 ・1872年:日本では明治5年12月2日の翌日から明治6年1月

  1日新暦施行の年です。

 

 ・1873年:日本の明治6年に佐野常民は明治政府から派遣されて

  ウイーン万博に行き、赤十字が更に大きくなっている事を知る。

 

 

 

 ・1877年:明治10年に佐野常民・大給恒らと博愛社を設立

  西南戦争で救護活動をした。

 

 

 

 ・1886年:明治19年に日本がジュネーブ条約を批准。

 

 ・1887年:明治20年に日本赤十字社へ改称。

 

  ・1888年:明治21年の会津磐梯山の噴火による犠牲者救護活動

   をした。日本が世界に先駆けて戦争以外の救活動をした。

   その31年後に国際赤十字・赤新月社連盟が創設(1919)された。

 

アンリー・デュナン手記 

 ・団結して良心に従ってこうどうするならば戦争は防げる

 

 ・戦いの場にも愛があることを信じます

 

 ・兵士たちが、戦う力と意思を捨てたとき、人間はみな同じ人間です

 

 ・負傷して武器を持たない兵士は、もはや軍人ではない。戦列を離れ

  た一人の人間として、その貴重な生命を守らなければならない。そ

  の為には、国的な救護団体を作り、戦争時に直ちに負傷者を救

  助できるようにしておば、再びソルフェリーノのような悲劇を繰

  り返す事は無いであるう。又これらの救助にあたる人々は中立とみ

  なし、攻撃しないよう約束することが必要である。

 

 ・私は、イタリア戦争の前からすでに、負傷した兵隊に関する人道問

  題に大きな関心を持っていた。戦争中および戦後に、この人達が

  どんなに気のな状態におかれるを良く知っている。  

  クリミア戦争の時の状態についての、ナイチンゲール女史の記録に

  私は注目していた。

 

 ・五人委員会後の国際会議での、主役はモアニエに移った。条約締結

  後はデュナンは赤十字から離れていった。モアニエに宛てた手紙に

  「私たちの事を完成し、進行させるための力の及ぶ限りの事はし

  てきたつもりです。

  私は身を引きたいと思う。私は人のかげにはいります。私は神の手

  で動かれてきたひとつの道具なのです。」

 

 ・年が経って人々から彼が忘れられようとしたときに、一人の新聞記

  者がスイのハイデンという小さな町のボーデン湖の畔にある養老

  院で、67歳の彼に会い、記事を書きました。これがきっかけとな

  り、1901年に第1回ノーベル平和賞を受賞しました。その賞金

  は全て赤十字国際委員会に寄付しました。

 

 ・アンリー・ジュナンが67歳の年は1895年。日本では明治28

  年で、日本郵が欧州定期航路を開設した年です。

 

 

上へ